駐車場内での事故。弁護士に依頼してからは早かった。

駐車場内で交通事故に遭遇しました。

前方の車が駐車スペースに入ろうと、右に頭を振ったため、その場で待っていました。

すると想定していた駐車スペースではなくその隣の私の近い方のスペースにめがけてバックしてきたのです。

私は停車しており、そこから回避することができず、逆突されてしまいました。

相手方の全面的過失によるものと思っていた私でしたが、相手方の言い分は私の車の停車位置が悪かったとのことでした。

相当腹が立ちましたが、その後は保険会社が窓口になって交渉してくれました。

ただ、相手方の主張が強いようで、なかなか全面過失を認めようとしませんでした。

そればかりか私の方が過失割合が大きいという始末。

あきれて物が言えませんでした。

過失割合見解にかなり開きが大きいため、私は弁護士に相談することにしました。

幸いにも私の保険に弁護士特約の付保があったからです。

そうすると、もしかしたら相手方の全面過失を認めることは難しいかもしれないが、過失を小さくすることができるかもしれないとのこと。

ざっくばらんに話をしてくれた弁護士の先生を信頼することにし、あとの交渉をすべてお任せしました。

弁護士の先生が交渉しても相手方はなかなか過失を認めようとしませんでした。

相手方の保険保険会社も相手の人と連絡が取りにくかったり、説得がうまくいっていないとの話でした。

最終的には弁護士の先生が相手方に対し、内容証明で催告書を送付、応じないのであれば訴訟提起する、との書面を送り、相手方が全面過失を認めました。

弁護士の先生にお願いするまで、4か月、お願いしてから1か月で解決することができました。

高校時代に事故

高校時代の一度のみでしたが、自転車事故に遭いました。ワゴン車に轢かれました。怪我も負い、長年そのまま生活してきました。治りませんが、大人になり、色々事故ではないにしても巻き込まれてきました。全てを警察や弁護士などに相談するかたわら、この件も相談してしまおうと思い相談しました。昔に話が済んでいることが理由で、とくに話が転じたりしたなどはありません。当時の対応のみで、あとは昔習ったはずだとか、あまり昔のことを言っていてもという返答でしたね。警察沙汰が度々身に降ってきて、相談をカウンセラーや法律事務所などに相談する機会があり、高額な費用がかかる可能性なども話で聞きました。無料の相談窓口もあるとのことで、近年起こったことに関しては警察のみならず他のところにも相談してきましたね。交通事故の件は、昔という点で事態は重なる気もしていて、話す時にどうしても話すことになってしまいます。解決しないので、まづ自分の状態から話すのですが、次々起こることとは本来的には無関係です。自分が交通事故で怪我も負ったことや、今も治らずに生活している点など、このことに落ち度があるか、それで防げないのかなどということも、自分としては事態は同じだとは思えないからです。交通事故と今起こっていて警察沙汰な件は、別のものという認識です。人も場所も、環境は別のところですし、全くの無関係です。管轄も違いますし、地域も都道府県も違います。なので、弁護士に相談するほどの内容が起こるほど、大変で面倒だと言うことですよね。

もらい事故にもかかわらず責任が発生する事案

交差点において、直進(優先交通)していた私の車に対し、左側から侵入してきた車両が私の車両後方にぶつかるという事故が発生しました。お互い動いているため、責任割合は私:相手=2:8というところからのスタートです。私が直進しているところ、何も止まらず交差点に進入してきた相手車両が視界にすこし入ってきたときには、車と車が接触事故を起こしていました。相手ははやりのドライブレコーダーを設置しており、その状況を明確にすることができましたが、過去の責任割合のデータから2:8というのは変わらないとのことでした。
次に最も問題となったのは、私の車両が全損扱いになり、修理代がでないということです。全損扱いということは何となく理解できたのですが、その価格がカーセンサーなどで調べた車両本体価格しか支払えないという事実です。まったくもって事故による損害が大きくなる一方であり、私自身そのような内容をまったく理解することができませんでした。また、保険会社は、通常の示談では車両本体価格しか払うことができず、弁護士をたてて裁判した場合にのみ、諸経費の一部も認めることが可能性がある。という見解でした。非常に理不尽な言い分であったため、弁護士へ相談いたしました。その結果、保険会社とほぼ同様の見解であり、過去の判例を見ると車体購入にかかる諸経費の一部を回収することのできる可能性はあるが、時間と費用を要するために、あまりお勧めしないという回答でした。つまり、間違った見解でもきちんと裁判までしなければ、正すことができないという非常な理不尽な結果でした。